スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2013.01.07 Monday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

LIFE is BEAUTIFUL. - Cely -

「いや、そんな顔しないでくれよ、学生さん。学生さんで間違ってないだろ?
……そうだよな。学生って顔してるもの。

私はしがないサラリーマンさ。
サラリーマンだった、と言ったほうが正しいのかもしれんがね!
もう会社なんかなくなってしまったよ。

女房がいて、息子がいて、
いや、これも、居た、と過去形にしたほうが正しいのかもしれんが。アハハ! 
何もかも全部過去になってしまった。
いまは男一匹、何者でもないのさ。これはどうしたもんだろうか?アハハ!」

「女房子供が死んだことは、そんなに哀しくもないさ。いや、哀しいかな?
どっちだろうねえ……。
ただ、すっきりしたのは確かだよ。
……もちろん愛してはいたさ!

信じて貰えるかはわからないが、確かに愛してはいたよ。当たり前だろう?
だから、怠け者の私が毎日朝から晩まで働いていたんだ。
仕事なんか少しも楽しくなかったがね!アハハ!

それでも、飯を食って、働いて、
働いて働いて、寝て、起きたら働いて、休日は一日中寝て。
馬車馬みたいに休むことなんか許されないで四六時中仕事ばっかりしていたさ。
家族への愛のためにね。

もっとも、その家族はもういないんだが。会社もないさ。
当時は随分と苦しく思ったものだが、今思うと、あれは何だったんだろうねえ!アハハ!」

「ねえ、聞いておくれよ。ほんとうに、あの苦しみはなんだったんだい?
ただ働いて、それが私の生活だったんだよ。何も楽しくなんかなかったよ。
楽しいかどうかなんて考えることも、忘れてしまうほどさ。
考えたって、どうにもならなくてね、だから考えないことが一番楽だったさ。
それでもいつか何かあると思って頑張っていたのさ。それがこの有様?

なんだいこれは?
なんにもないじゃないか!
あの私の苦しみは、どこへ行ってしまったんだい?
わかるかい、学生さん?わかるなら教えてくれよ。アハハ!」

「それじゃあ、悪かったね、学生さん。
最後まで話を聞いてくれて有り難う。きみは私の友達だよ。
同情なんかしないでくれ。別になんともないよ。もういいんだ。

それより、雪がたくさん降っているね。とても美しいじゃないか!
美しいって思う気持ちは素晴らしいねえ。なんだか内側から綺麗になるみたいさ。
それじゃあ、私は歩いていくよ。……さようなら!きみに幸あれ!」



ネットで拾った記事より




ホテル住まい三日目の夜に
_10/03/2011

それでも人生はウツクシイ、と僕は思う。


Cely










と、震災前に綴ろうとしていたことを綴る。


Cely

スポンサーサイト

  • 2013.01.07 Monday
  • -
  • 02:41
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

COMMENT
ショーペンハウアーですね。
僕も最近似たような事を考えていました。
確かに震災前でした。

http://www.youtube.com/watch?v=T72LcAZhQq4
  • Y
  • 2011/03/17 8:36 AM
こんにちは

以前 Michael Rosenの「SAD BOOK」という絵本を読みました。悲しいお話ではなく、悲しみを描いたものなのだそうです。  が、私にはその最後のページの先にあるものが良く分かりませんでした。

凄い事が無い時でさえも、いろいろなものに癒され慰められてしまっています。好きじゃ無いことがあると、手のひらに乗る位の小さな雑貨を買います。起こっていたのはその程度の事だったのかもしれません。

人と深く関るのはあまり好きな方ではないのだけれど、それでも人を救うのは、ひとであってほしいと思うのです。

と、何だかいつもピントのずれたコメントですみません。



大槌町で暮らす知人の無事が確認出来ました。お会いした事は一度も無いのですが・・・夏の海では、岩場でお魚が釣れるのだそうです。
  • water
  • 2011/03/21 9:52 PM
Yさんコメントありがとうございます。

今回の大震災で「地震雲を見た」、という証言があるそうです。
特に不安な事柄には、因果関係がはっきりすると落ち着くものです。
そもそも、そういった事象はあるのかもしれません。
いや、ないのかもしれません。

しかし、それの有無に関わらず、わたしたちの何かが変わることはないのです。
それでも答えのないことを考え、右往左往して悩みながら生きる。
そんな人が魅力的に映ります。

今回のコメント、キャッチボールになってないですが、(毎度かもしれませんが)
なっていると思います。
  • Cely
  • 2011/03/21 10:47 PM
waterさん、コメントありがとうございます。
的外れな返事となることをお許しください。

個人の物事の善し悪しを究極に決めるのは死ぬときだと思います。
それは前日に想っていた感情が覆っても誰も知ることがなく、個人の自由なもの。
たとえ十分な時間がなくとも、唯一与えられた平等なもの。

疑いながら自分で決めたものを、迷いながら検証する人生。
あのときのひと言や、あのときの自分の素振り、
最期のときにその解釈は自由で、皆平等に想うことができます。

だからひとは揺れ動いたり、悩んだりするのかもしれません。
最期は自分勝手になれるのですから。
ゆえに、人生はウツクシイと思えます。
絵本の中の奥にある答えは、必ずしも知らなくてもいいのだと思います。
  • Cely
  • 2011/03/21 11:31 PM
LEAVE A COMMENT








   
TRACKBACK URL
TRACKBACK

SEARCH THIS SITE.

PROFILE

MEMBER'S POSTS

MEMBER'S LINKS

RECENT POSTS

ARCHIVES

RECENT COMMENT

OTHERS

MOBILE

qrcode

SPONSORED LINK


COPYRIGHT (C) 2011 woaky All Rights Reserved.